絆
2011年3月11日に東日本を襲った大震災は、多くの被災者に苦難を与えました。
家族や友人を無くしたことの心の傷に加え、生活の場を追われた人たちは深い絶望を感じたことだと思います。
そのような情景がマスメディアで映し出され、日本中が同情しました。
絆が時代のキーワードになり、助け合うことが日本人の美徳のように取り扱われるようになりました。
息苦しさ
絆は日常生活の中に深く入り込みましたが、違和感を感じた人も多いのではないかと思います。
平穏な生活を送っている者同士に、絆がどれほど重要なことなのかと。
それを口に出すことは、とても許される状況ではなかったことが、よけいに息苦しさとなっていました。
死
私は昨年大病を患い、死が一気に身近な存在となりました。
いざ自分の身に迫ってきても、あまり恐怖は感じませんでした。
あまり充実した人生ではありませんでしたが、受け入れることにそれほど後悔はありません。
人はひとりで生まれてきて、友達をつくり家族が増え、少しずつ減っていき最後は一人で死んでいく。
誰かの言葉が妙に心に刺さりました。
人生の下り坂で少しずつ孤独になり、最後はひとりで死んでいく。
そのように人生を俯瞰すると、妙にほっとした気分になりました。
絆から少しずつ開放されるのだということに、安心感を感じました。
老後のセカンドライフ
幸い病気も寛解に向かっています。
還暦を前に、2度目の人生を与えられたのは何かの運命だと思います。
一度麓まで下りきって、不本意な我慢を捨ててやり直してみろと言われている気がします。
日本は社会保障が充実しているので、どんな生き方をしても天寿を全うできる国です。
裕福さや贅沢を手放せば、何をしても生きていけると思うと気持ちが楽になります。
残された人生、孤独を楽しみ自由を謳歌したいと思います。