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セカンドライフ 働き方

犀の角のようにただ独り歩め

スッタニパータ(釈迦の言葉)

初期仏典のひとつで、瞑想をし執着をなくし真理を見出すという釈迦の教えを口伝によって伝えた詩句集です。

宗教色が少なく、現世を苦しまずに乗り切る心の持ち方を説いている今の名言集や心理学に近いものです。

表題はその中でも有名な言葉で、特に惹かれる一節です。

林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

今の人々は自分の利益のために、交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。

「ブッダのことば」スッタニパータ 中村元 訳

犀と家畜

犀は草食性のおとなしい動物ですが、2トンを超える巨体と鎧のような分厚い表皮に覆われているので、肉食獣に襲われることはほとんどありません。

個体はなわばりをもっており天敵もいないので、通常は単独行動で暮らしています。

現存する動物の中では唯一の一角獣なのでその生態と容姿から、孤高の哲学者・修行僧のような印象を例えにしたと思われます。

自然界では天敵のいない犀ですが、古くは人間が食肉用に狩猟したり、近代に入ってからは角を目当てとした密猟の対象となったりで何度も絶滅の危機に瀕しています。

一方で、牛や豚・鶏は人間に飼われる家畜として生きながらえ、個体数だけでみると極めて繁栄した動物種です。

ちなみに国連の2017年の統計では、牛は15億頭、豚は10億頭、鶏は214億羽の生存数なので自然界で暮らす動物とは比較にならない繁栄をしているという見方もできます。

しかし、家畜も個体でみると結構つらい生活をしているようで、乳を出さない雄牛は生後一年以内に食肉用にと殺されます。

雌牛もほとんど身動きのできない牛舎の中で毎日搾乳されるだけの生活です。

乳を出すために頻繁に出産を繰り返し、生まれた子牛はすぐに母牛から引き離され、代わりに子牛の臭いのついたものを近くにおいておくそうです。

そうすることで、乳の出がよくなるそうです。

豚や鶏も同じような境遇です。

犀と家畜はどちらが動物として正統な生き方なのか難しい問題ですよね。

組織は人をも搾取する

犀を絶滅の危機に追いやったのも、家畜に対し動物としての尊厳を奪っているのも人間の業です。

15世紀から近代の帝国主義がとった植民地政策は、犀や家畜とおなじ扱いを人間に対して行いました。

当時の学者は原住民は劣悪人種であることをあたかも科学的根拠があるような理論づけで、植民地政策の正当性を擁護しました。

「原住民たちは教養もなく倫理観に欠けている劣悪な人種であり、優良人種であるアーリア人が支配することは(神の意志として?)正統性がある」

という理屈が当時の欧米諸国の共通認識でした。

(今でも白人は腹の中にそういう感覚をもっているのか、ハワイ旅行に行くと現地のガイドから白人はずいぶん嫌われています)

帝国主義という集団主観は、後世の道徳観や倫理観からみるとトンデモ理論を展開し、しかもそれを集団で信じてしまうという人類の業の深さを見せつけます。

翻って、現代の資本主義は資本の最大化を最優先に個人と向き合っている集団主観なのではという疑いが生まれます。

「資本の最大化が最優先事項であり、個人の自由や権利を搾取することはエリート民の責務である」

みたいな空気が時たま漂ってきます。

そのようなグローバル企業組織と対峙するのは国家機関なのですが、こちらはこちらで国家の威信と繁栄が最優先課題で国民の幸福にはあまり関心が無いようです。

犀の角のように

集団の空気みたいなものに流されていると、とんでもないことになるように思います。

現実をよく見る、他人の評価の中で生きずに自分自身と対話をする。

この姿勢を自分のなかに確立しておかないと、家畜や被植民地民と同じになるのではというのは考えすぎでしょうか?

そのために孤独を愛することが必要なのではと、新年に妄想してみました。

 

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